1回戦 佐川急便大阪 5−4 松山建装社(愛媛)
目次
あとがき
前の記事で書いた、旭製作所とひらまつ病院の試合後、愛媛県代表の松山建装社に会いたい選手がいたのでレクザムスタジアムから番の州野球場まで車を走らせました。距離にして約15キロ。30分。なんとか間に合ってくれーと願いながら。
球場に到着すると駐車場は満車で、向かいの臨時駐車場を案内されました。とりあえずよかった……汗だくになりながら球場へ戻ると3回終了したところ。間に合った……。ただこの球場は電光掲示板がなく、スコアボードだけ。スタメンがわからない。そういえば、ろくにパンフレットも見てなくて背番号も覚えていない。
この試合の勝者と翌日対戦する京葉ガスの選手たちが試合を見てて聞いたんだったかなあ。その時のこと今ははっきり思い出せないんだけど、会いたい選手は1番ショートで出てました。背番号2。矢野功一郎選手。
100回目の夏、甲子園史上初の逆転サヨナラ満塁弾
高校野球がお好きの方なら見出しとお名前でピンときたかもしれません。
2018年、夏の甲子園。
星稜対済美の試合で延長13回無死満塁、甲子園史上初の逆転サヨナラ満塁弾を放ったのが当時済美高校の矢野選手でした。
私にとっては高校野球雑誌の編集に携わった初めての夏(カメラマンとしては長く携わっていたけど、誌面に使う写真の選定など一任されることになってから初めての夏)で、矢野選手1ページで大きく扱うことになり、すごく印象に残ってたし、どんな写真を使ったかも覚えてました。
ですが、矢野選手に会いにいったのはこの甲子園がきっかけだったわけではありません。
出会いは後輩からの紹介
天皇賜杯の1週間前、私は『後輩に会いに行くシリーズ』と称して愛媛にいました。
四国アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツに順大野球部OBが3名、元選手でマネージャーをしていた後輩の4人に会いに行ったのです。
試合後のお見送りの時に(独立を見に行ったことない方への補足:試合後、選手がお客さんをお見送りしてくれるのですが、そのときに話したり写真を撮ったり選手と交流ができます)順大の後輩で当時チームのキャプテンをしていた山崎雅史選手(上の写真左から2人目)が矢野選手を紹介してくれたのです。
矢野選手の弟さん(泰二郎選手)がパイレーツに在籍していて、観戦に来ていたようで。山崎選手から「済美で満塁ホームラン打った……」と紹介されて「ああ!」とすぐ甲子園のことは思い出しました。ですが、今も野球してるとかはそのとき話に出なくて「テレビ局に勤めてます」って名刺交換したんです。だからまさか今も現役選手で、しかも軟式でやってるなんて全く知らなくて。
天皇賜杯の開会式で再会
9月15日、レクザムボールパーク丸亀での開会式。
私は京葉ガスの選手たちいるかな〜って球場の外うろうろしてたんです。もちろんカメラを持って。そうしたら「こんにちは!お久しぶりです」って声をかけてくれたのが矢野選手でした。
実はその時、私は誰だか思い出せてなくて(ごめんなさい!!)。
顔は確実にわかるのに、どこで会ったか思い出せない。そりゃそうだ、会った時は私服だったし、今も現役って聞いてないし。ユニフォーム見てもピンとこないのも当たり前。袖に「EHIME」って書いてあるけど、愛媛のチームに知り合いいないんだけど……ずーっと「誰だっけーーー」って思いながらも、会話してヒントを探っていた自分……本当に申し訳ない(身に覚えのない人じゃなかっただけに余計に聞けなかった)。
むしろ矢野選手はよく私だってわかったな!と。
話したとき、私が社会人軟式を撮ってることとかたぶん言ってない。後輩から聞いたのかな(いや、後輩も知ってたかどうか……)。
開会式前にパンフレット見て確認しました。びっくり。え、今も野球やってたの?!って。しかも天皇賜杯に出て来れるようなチームで?!ということにも。テレビ局に勤めてるって言ってたよね?!と軽く混乱(笑)
「明日試合なんです」と言ってたので、これは絶対に行かなければと。
京葉ガスは2回戦からで翌日試合がなかったのも偶然にして必然だったのかもしれない。球場のはしごはリスクがあるけど(旭製作所も絶対見たかった)、10キロなら間に合うはずと信じて。
先輩に誘われて軟式の世界へ
どうしても時系列で書きたかったから前置きが長くなってしまったけど、4回から試合を見ることができて、打席も守備もしっかり目に焼き付けました(写真も)。
一番印象的だったのはずっと楽しそうで、表情がとっても豊かだったこと。
矢野選手だけじゃなく、松山建装社の選手みなさんがそうだったのは写真でも伝わっているかなって思います。
「このチームは監督が社長さんで、選手たちは社員ではなく集まった人たち。僕はキャプテン(山中選手)が同じ職場の上司で、誘われて入りました。平日は自らバッティングセンターなど行って、土日に集まれる人で練習しています」
企業チームではなく企業が持つクラブチームだということも初めて知りました。野球やってるって聞いてなかったから開会式で声かけてくれてすごく驚いたことを伝えると「あ、そうでしたね。言ってなかったですね」って笑ってました。
矢野選手は済美高校を卒業後、環太平洋大学でプレーしました。
「メディア関係に進みたくて4年春で引退し、就活しました。いずれは高校野球に携わりたい」そうです!
矢野選手のお名前で検索すると、テレビ局入社後の動画とか上がっているので気になる人はぜひ見てみてくださいね(私も拝見しました)。高校野球がらみで会うこととかもしあったらそれも楽しみです。
「今年(2023年)は若い選手も多く県を勝ち抜けて、でもすごく悔しいのでまた来年(天皇賜杯に)帰ってきます」
こうして会いたい選手は増えていく
不思議なご縁で出会った矢野選手。はじめましてから再会までのスピードや展開も、これまで仕事やこうした活動でたくさんの選手と出会ってきましたけど、なかなかないパターンでした。
メディアの仕事って大変だと思うんです。私もメディア関係の仕事もしてるけど、野球と両立するのも本当に好きでないとできないことなんじゃないかな。いや、メディアの仕事に関わらず、仕事と野球の両立って大変だし、特にクラブチームはね。練習もままならないと思うので……。
でも本当にすごく楽しそうで、またプレー見たいなって素直に思ったので「来年帰ってきます」の言葉を信じて待ちたいです!
また会いたいと思う選手って、こうやって増えていくんですよね。
プレーを見て一目惚れのパターンが私は割と多いのですが、意識してなかったけど気づいたら繋がってた!みたいな選手だったり、見るたびにじわじわと惹かれていくパターンやお話を聞いて感銘を受けるパターンもあったり。矢野選手は気づいたら……のパターンだけど、不思議だなあって今でも思っています。
ようは縁があるってことなんですよね。
私がいまカメラマンとして野球に携われているのも、本当に出会った人たちに恵まれて、ご縁だけで仕事繋いできた感じですし。
「好き」という気持ちが繋いでくれたご縁
ちょっと話それますが。
私は最初から写真の才能やセンスなんてなかったし、たまたま「やってみるか?」「やります」でカメラマンになってしまった感じなので。「仕事で撮る」ことは何も知らなくて、師匠が超スパルタだったために、学生時代の部活みたいに必死に食らいついてました。
それでもずっと野球が好きだし、楽しかったからってだけ続いてました(ムカつくことや投げ出したくなったことは多々あったけど)。
師匠が引退するまで8年間お世話になりました。苦しい思い出ばかり。それでも私のカメラマンとしての基礎ができたことは間違いなくて、ようやく感謝の気持ちがもてるようになりました(しばらくは思い出したくもなかった)。
中学生の時に「将来は野球に携わる仕事がしたい」って描いた夢が実現しているのは、野球が好きなことをいろんな人に話してきて、それを知ってた人が繋いでくれたから。
いまの活動もはじめはTwitterで「社会人軟式めっちゃ面白いんだけど!」みたいなことを細々とつぶやいてて、それまで大学野球が活動の中心だったから初めは誰も見向きもしなかったけど、選手が見つけてくれてそこから広がって今に至るんです。
これからもここは私が心を動かされたことを発信していく場でありたいなっていうのを、今回矢野選手とのエピソードを書いていて改めて感じました。
有名な選手じゃなくても、強いチームじゃなくても、そういうことはどうでもいいんです。どうでもいいって言ったら言葉悪いですが。いいなと思った気持ちや、ご縁を大事にしていきたいです。
矢野選手、声かけてくれて本当にありがとう。
またお会いできる日を楽しみにしています!
最後までお読みいただき、ありがとうございました。