〈PlayBack 2023〉第78回天皇賜杯 1回戦 旭製作所 vs ひらまつ病院 2023.9.16

〈PlayBack 2023〉第78回天皇賜杯 1回戦 旭製作所 vs ひらまつ病院 2023.9.16

1回戦 ひらまつ病院(佐賀)3−1 旭製作所(埼玉)

あとがき

私がこの試合を見に来た理由と、選手への思いをだらだら書きますのでご興味ある方はどうぞ〜。先に言っておきますが、長いです(笑)

軟式球界に激震が走った2019年

全国でも強豪チームだったパイオニア川越(埼玉)の廃部。
当時在籍していた選手は引退、移籍、さまざまな道へ。チームがなくなっても私は「元パイオニア戦士」たちのことがずっと気になっていました。

私の発信を長く見てくださっている方はご存知かと思いますが、パイオニアは私にとって社会人野球に軟式があること、この世界を知るきっかけをくれた大切なチームだったんです。

社会人軟式と出会わせてくれた選手の存在

私には同じ年で、高校野球からずっと応援してる選手がいました。その選手が2003年、大学を卒業してパイオニアに入りました。卒業後も野球を続けてくれるのがうれしかったけど、そのとき初めて社会人野球に軟式があることを知りました。草野球じゃない、企業チームの軟式ってどんなだろう……。

それからその選手が引退する2013年まで何度もパイオニアの試合を見に行って、すっかりチームのファンになっていました。当時はまだカメラマンとしての仕事も全然ダメで必死で食らいついていたとき。猛烈に忙しくてなかなか時間が取れなかったけど、出雲の天皇賜杯も行きました(これがその選手の最後の試合に……)。
軟式野球のおもしろさは当時はあまりわかってなかったけど、レベルが高くてすごいなという印象でした。

一度は遠のいた軟式の世界に再び

引退後、私は軟式からは遠のいていたけど、2016年、たまたま千葉で軟式を見る機会があり、すっかり軟式のおもしろさ、個性的な千葉のチームたちにハマってしまいました。
そういえば……とパイオニアの存在を思い出し、久しぶりに埼玉まで足を運んだのが2018年。もう知っている選手はほぼいなかったけど、懐かしくて涙が出そうでした。

そして2019年。部がなくなると知り、絶句。
最後のシーズンはなんとか予定をつけて6月の天皇賜杯埼玉県大会に行きました。最終日まで勝ち進んだけど、私はどうしても予定があわずに行けなかった(千葉の天皇賜杯が始まってしまった……)。全国に行ってくれればまた会えるから優勝してほしい……という願いも届かず。決勝で敗れ、チームの歴史に幕を下ろしたのでした。

2019年6月17日、天皇賜杯埼玉県大会。これが私にとって最後になりました

その頃はもうSNSが発達して情報もたくさん手に入るようになっていました(それでも軟式は少なかったけど)。私が軟式のこと発信し始めてたこともあり、パイオニアの選手たちもたくさん見てくれてたようです。

ご縁は続いていた

同じ年の8月、国体の関東ブロックが千葉県で開催されました。
球場で、試合を見にきていた元パイオニアの選手3人が声をかけてくれました。びっくりしたのとうれしかったのとでうわああああってなりました(語彙力)。
縁は続いてた。これは夢なのか?と。鳥肌ずっと立ってました。
引退する選手、同じ県の他チームへ行く選手、他県のチームへ行く選手。それぞれの決断を教えてくれました。だから、続ける選手の応援は必ず行こう。その時にそう決めていたのです。

旭製作所には、最後の年のメンバーだった3人が在籍しています。
須佐見投手、田中選手、伊藤選手です。
埼玉と千葉は県大会の日程が重なることが多く、なかなか見に行くことができずにいました。
ようやく!です。

それぞれがそれぞれの輝きを

国体ブロックの時に声をかけてくれたうちのひとりが、伊藤選手でした。
この試合では初回の守備で交錯して足を痛めたのに、適時打含む2安打。さすがベテランです。負けてしまったし、足の状態も心配だったので試合後に声をかけるか迷ったのだけど、次いつお会いできるかわからないし……と勇気を出して声をかけました。

痛む足で適時打を放った伊藤選手

「悔しい。チャンスしかなかったし、須佐見も頑張ってたからなんとかしてあげたかった。(1回に一塁上で交錯)自分でもどうなったかわからないけど、ものすごく腫れてます……」

じーんときてしまって。ものすごく腫れてて、塁上で痛そうな様子もあったけど、打席や守備でそんなこと一切感じさせなかった。きっとこれまでいろんな経験してるベテランだからこそ、簡単に下がれないって気持ちがあったのかなと。今年もまたお会いできるといいな。

初回の3点以降、毎回のように走者は背負っていたけどずっと耐えていた須佐見投手。

最後まで投げ切った須佐見投手

お話は聞けなかったけど、パイオニアの時からなんだろな、エースらしい投球っていうのかな。簡単に言ってしまうと。大きく表情変えることもなく、だけど熱いものが伝わってくる(勝手に私が受け取ってるだけだと思うけど)。伊藤選手と同じく意地を見た感じでした。

田中選手は試合の出場こそなかったものの、捕手としてブルペンとベンチと往復してチームをサポート。
パイオニアの1年目からバンバン試合出てたので、選手として一番いい時期にチームがなくなってしまったのは辛かったんじゃないかな。

サポートに徹した田中選手

パイオニア時代に球場でお父様が声をかけてくださってお話ししたことがあったのだけど、たぶん田中選手自身とは話したことなくって。だけど帰りに声かけてみたんです「今回はお父さんは来てないの?」って。そこからいろんな話をしました。

大学の同期が京葉銀行の蛭田選手で、私も普段よくみている選手なので話が盛り上がりました!田中選手が「あいつのガッツがあるところが本当に好きなんですよ」って、私も同じだったのでなんだかうれしくなりました。

そして「実は……」とこの年限りで引退&転職を決めていることを打ち明けてくれました。

「これからは野球界に恩返しがしたい。狭い世界ですし、またどこかでお会いすることがあると思うのでその時はよろしくお願いします!」

ああ、パイオニア戦士がまたひとり……泣
田中選手は廃部のことを「球界に激震が走った」と言ってたけど、本当におっしゃる通り。「移籍して4年。今はもう悔いはありません。やり切りました」と清々しい表情でお話ししてくれて、胸がいっぱいになりました。元気にしてるかな。

見えないどこかでつながってる

この試合、本当は途中で抜けて別の球場へ行く予定だったんです。
だけどやっぱり声をかけずには帰れない!と思ったので最後まで見ました。結果そうして本当に良かった。

応援していたチームがなくなるっていうのはものすごくショックが大きいことで、初めての経験でした。ずっと応援していた選手はすでに引退していたとはいえ、もうつながりが切れてしまうような気がして。それもそれでご縁なのだけど寂しすぎて耐えられなかった。

きっと3人もすごくショックだったと思う。でも新しい場所で輝いてた。その姿を見ることができて、やっとひとつ扉が開いたような感覚がありました。もう4年も経ってるのに。

パイオニアの最後のシーズン。
球場で、引退して以来6年ぶりに私がずっと応援してきた選手と再会しました。
もう会うことはないと思ってた。でももしかしたら最後だし来るかも……と思ったら、やっぱり会えた。初めて会ったのが1999年だったので、20年も経ってました。20年ってすごくないですか。こんなことあるんだって。いろんなことに感謝しました。偶然にしてもすごすぎて。こんなに素敵なご縁をありがとうございましたって。

つながるときはつながるし、切れるときは切れる。願ってなくてもそうなる。それはもう決まっていることなのかもしれない。ショックなことにも寂しいことにも意味があるし、離れてたと思っても、またつながることもある。だからいつも希望だけは持っていたい。

次に向かった球場にも、これまた不思議なご縁でつながった選手がいたのでした。

長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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