11月20日、千葉県選手権最終日。
朝、京葉銀行の主将・高橋選手から声をかけられました。
「今年で引退することになりました」
ついにこの日が来てしまった……。
さらに高橋選手の口から、他に3人引退すると聞きました。
4人もいなくなるなんて寂しすぎます。
京葉銀行以外にも、この千葉県選手権を持って引退される選手がいます。
みなさんのことを少しずつですが書きたいと思います。
目次
素晴らしいプレーをありがとう!
京葉銀行・高橋和広選手
チーム最年長の高橋選手は35歳のダルビッシュ世代。
近年スタメンで出場することは少なくなりましたが、今年主将に復帰。
ベンチでもグラウンドでも若い選手たちの背中を押す声掛け、ここぞの場面でチームを救い、鼓舞するプレーがたくさんあり、本当に頼もしい主将でした。
個人的にも大好きな選手で、高橋選手のプレーを楽しみにしていたひとりなので非常に寂しいです。
だけど、こんなに長く、撮り手をワクワクさせるプレーを見せてくれたことに心からありがとう!お疲れ様でした!と言いたいです。
京葉銀行・古川竜也投手
肩を脱臼し、いまは全力で投げられないそうです。
今年31歳。
まだまだできる年齢だと思うけれど、若手の台頭を見ると引き際だったのかもしれません。
お話しした際は笑顔でしたが、目の奥に悔しさが見えたので話していて苦しくなってしまいました。
いまはゆっくり体を治してほしいです。
最後はご両親、弟さん妹さんもいらしてました。お父様とはよくお話しさせていただいて。
明るくて素敵なご家族でした。
=同級生との対戦叶わず=
決勝で対戦した南関東日野自動車の藤崎選手とは城西国際大の同級生。
試合後の整列で、ふたりで握手している姿が。
藤崎選手はずっと「早く同じ舞台で戦いたい」と古川投手との対決を目標に頑張っていました。
悲願のA昇格を果たすも「寂しいです。3日前くらいに(引退すると)聞いて……」と残念そうでした。
同じく南関東日野自動車・有田選手は木更津総合高の後輩。
藤崎選手同様とても寂しそうでした。
だけどこうしてみなさんのやりとりを見ていると、寂しいけれど社会人になっても同級生や先輩後輩と野球でつながれているっていいなーと改めて思いました。
京葉銀行・村岡健次郎選手
まさか、でした。
走攻守揃っていてファイトもあり、まだ30歳。
バリバリのレギュラー選手。大きなけがもありません。
ですが、ずっと抱いていた『海外へ語学留学』という夢に挑戦されるとのこと!
まだできるのに決断できたのは、それだけ野球をやり切れたんだと思います。
個人的には岡山での天皇賜杯の時、ご両親とは同じホテルで球場まで車に乗せてくださったり、一緒にお食事したりと、大変お世話になったので最後お会いしたかった……。
これからの挑戦、応援してます!
京葉銀行・田村和麻選手
水戸市長旗でスタメンを外れていたので、ケガをしていたのかと思ったら……。
引退、いやご家族とともに千葉を離れることを決めていたようです。
引退はしません!
新たな土地でまだまだ野球を頑張るとのこと!
「ケガもなく全然できます!」と力強く話してくれました。
あの独特なフォロースルーとストライドの大きな美しい走り姿、まだまだ私も見たいです。
来季新たな楽しみが出来ました。
ライバルになるけれど、全国の舞台で京葉銀行と対戦する日が来るといいなと願っています。
松戸市役所・真中恵介選手
残念ながら準決勝は棄権となりましたが、先日引退の日を迎えた松戸市役所・真中選手。
▼真中選手のラストゲームはこちら
本当は昨年引退を考えていたそうですが、チームのために1年延期。
今年は試合に出ることはほぼなく、サポートに回っていました。
「今季2打席目です(笑)」と言っていた国体予選では代打で貴重なタイムリー。
現役最後の試合は4番・捕手でスタメン。
ヒットこそ出ませんでしたが、盗塁を刺し、同期の奥川投手とのバッテリーで完封し有終の美!
惜しまれつつ後進に道を譲ります。
南関東日野自動車・岡澤選手、前野選手
悲願の昇格を果たし、来季Aクラスに参戦する南関東日野自動車。
岡澤選手と前野選手が引退されると、藤崎選手から伺いました。
ふたりは先日昇格を決めた高松宮賜杯でも大活躍でしたので、驚きを隠せませんでした。
千葉県選手権決勝。
9回裏、岡澤選手の打席ではしきりにベンチから「最後の打席だぞー」と声が飛んでいて、しみじみしてしまいました。
4年前、面識がなかったにも関わらずチームから撮影のご依頼をいただき、南関東日野自動車(当時は千葉日野自動車)のみなさんと出会いました。
Bクラスの試合も足を運ぶようになったのも、みなさんを応援したい気持ちから。
そして今年、昇格の瞬間を一緒に涙して喜べたことは本当に忘れがたい思い出です。
Aでプレーする姿を見れないのは残念ですが、本当にお疲れ様でした!
AKIRA・小川武志投手
「もう肩が限界です。負けたのは悔しい。でも、こんなこと言ってはいけないかもしれないけど、今日はすごく楽しかった」
現役最後のマウンドは、高校時代に慣れ親しんだマウンドという不思議な縁もありました。
ゼットエーボールパークは拓大紅陵はじめ木更津総合、東海大望洋と強豪ひしめく第8地区のメイン球場(当時は市原臨海球場)。高校の公式戦初登板はこのマウンドだったそう。
私の記事で小川投手のことは何度も書いてきましたけど、改めて書きますね。
彼は30歳を超えて自分のこれまでの投球スタイルを激変させ、大活躍しました。
キャリアの最後に「一花咲かせた」という言葉がぴったり。
140中盤のまっすぐでガンガン押すスタイルだった小川投手。
忘れもしない、2019年の国体予選準決勝。
1点リードで登板した9回、京葉ガス・青山選手に同点弾を浴び、延長の末押し出し死球を与えサヨナラ負けという悔しさを味わいました。
長年投げ続けてきた肩はすでにボロボロで、その年の10月に手術。
2021年3月に復帰してからは「あのスタイルでは勝てない」と30歳を過ぎて自らのスタイルを180度変えました。
変化球を中心に、打たせて取る。
自慢のまっすぐは要所だけ。
これまでは救援中心だったけど、先発で長いイニングも投げられるようになりました。
小川投手の変貌には本当に驚きでした。
投球スタイルもそうですが、何より一番変わったことは、笑顔が増えたこと。
正直、怖い印象しかなかったんです(笑)
押し出しで敗れた試合の時はグラブをたたきつけ、感情をあらわにしていました。
そういう仕草もなくなりました。
打たれても「ごめん!」と明るくベンチへ戻る。
ベテランである彼が変わることでチームの雰囲気も変わったのかなって今は思います。
それがAKIRA大躍進のきっかけにもなっているはず。
お話しするととても明るくて好青年。
いつも素直に気持ちを語ってくれました。
酷使した肩は1日投げると10日は投げられないような状態だったにもかかわらず、天皇賜杯では3連投。
「自分に暗示をかけてました。寝る前に『まだ俺は1球も投げてない』と」
やはりもう最後は気持ちなのか……。
どんな痛み止めよりも、アドレナリンが上回ってしまう怖さ。
ゆっくり体を休めてほしいです。
小学3年生から投手一筋。
拓大紅陵から松本大学、BCリーグの信濃、武蔵、西武の打撃投手を経てAKIRAに来ました。
当時のAKIRAの監督が大学の同級生というご縁だったそうです。
いまでこそ独立出身選手が多いAKIRAですが、小川投手が第1号とのこと。
最後に地元・千葉のチームで活躍できたこともうれしかったんじゃないかな。
天皇賜杯千葉県大会で初優勝したとき「初めて千葉で優勝できました!」って喜んでいたのも懐かしく思い出します。
変化を恐れない柔軟な姿勢や「チームのためにやってやろう」という意気込みを間近に感じて、私もすごく学ぶことが多かったです。
小川投手が最後に「なおこさんにたくさん書いてもらってうれしかったです」と言ってくれて、この活動の意味を改めて感じることができ、胸がいっぱいになりました。
本当にありがとう。お疲れ様でした!
おわりに
私の、サンニッパのあるべき姿を再確認
様々な選手たちと、引退の日をかみしめた千葉県選手権最終日。
みなさんの最後の勇姿を残せたことを幸せに思います。
京葉銀行・高橋選手がチームメイトやOBたちと写真を撮っていたとき、私のところに改めて挨拶に来てくださり「一緒に写真撮りましょう!」って言ってくれたんです。
「すごくお世話になったので」と、私は正直何もしてないんですが、この活動がささいなことで選手たちのためになれているのかな、とうれしくなりました。
他にもご家族が握手を求めてくださったり、これからの私の、サンニッパのあるべき姿というのを再確認できた1日でした。
私の写真は選手のみなさんのひたむきな姿、頑張り、懸命なプレーがあってこそ成り立っています。
現場で目にした世界をありのまま写し、選手の素直な声を偽りなく書き残すだけ。
届く人には届いている。
そう信じて、これからも活動を続けていきます。
新たな道へ進むみなさん。
野球が終わってからの人生の方がはるかに長いです。
みなさんの輝かしい未来が幸せなものであることを心から願っています!