国スポで相双リテックが優勝し、スタンドで見ていたコーチは泣いていた。
私は「よかったね!おめでとう!」と一番に声をかけ、がっちり握手した。
彼が徹底してきた野球で日本一になれたのだから、涙が止まらないのも無理はない。
3年前、縁もゆかりもない福島のチームでコーチになった。
外部コーチ、と言う立場だ。
現役時代、対戦があった選手数名と面識はあったものの、全く知らないチームのコーチになることに不安もあったと思う。
「3年で日本一にする」と覚悟を持って荒波に飛び込み、徹底的にスモールベースボールを貫いた。
有言実行。悲願は3年目に叶う。
国スポの決勝、0−0で迎えた8回裏1死二、三塁。
長年苦労してきた本田選手が美しいたたきを決め、1点をもぎ取った。
もう二、三塁を作った時点で泣けてきたらしい。

その外部コーチは私のよく知る人だ。
千葉のチームで選手、引退後は2年間コーチをしていた経験がある。
人懐っこく、野球が好きすぎる熱い男。
現役時代も、コーチ時代もたくさん話をした。
界隈の人には周知の事実だけど、本人との約束でここでは名前を伏せておく。
記事内の表記に迷ったが、イニシャルにするのも違和感があるので「彼」と表記する。
彼のコーチ人生は現役引退後に就任した、自チームでの大きな挫折から始まっている。
3年で相双リテックを日本一にするまでのストーリーは記事にする価値があると思い、本人の承諾を得て書いている。
自分のやり方を変えるのは容易じゃない。
でも失敗を認めて柔軟に変えていける人が、これから生き残っていく人だと私は思う。
時代に逆行する?スモールベースボール
コーチになった当初から「見にきてください」と言われていた。
それが3年目でようやく叶った。
6月、天皇賜杯福島県大会決勝をいわきまで見に行った。
私の住む千葉からいわきはそこまで遠くないが、その日は北茨城にいた(午前中、天皇賜杯茨城県大会の決勝を撮っていた)ので、近くて助かった。
試合後に向かっても、午後の決勝に余裕で間に合った。
「僕がどういう野球をやりたいか、わかってもらえると思います」
そう聞いていたので、すごく楽しみにしていた。
試合は負けてしまったが、彼がこだわってやってきたことは十分に伝わった。
私がスタンドから見た、相双リテックの印象はこうだった。